http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161029-00000086-mai-base
広島・黒田、41歳の別れ 第7戦かなわず
もう一度、あのマウンドに立つ夢はかなわなかった。プロ野球の日本シリーズは29日、広島が本拠地・マツダスタジアムで日本ハムに敗れ、1984年以来32年ぶりの日本一達成はならなかった。今季限りでの現役引退を表明、日米通算20年に及ぶプロ生活の集大成と臨んだ広島の黒田博樹投手(41)は30日の第7戦登板に備えていたが、25日の第3戦(札幌ドーム)が「最後の雄姿」となった。
第3戦。「(野球人生の)ゴールが見えた」マウンドで、一回に1点を失ったが、持てる球種を惜しむことなく、全身全霊で投げた。投球術とは何か。チームの若手投手だけでなく、日本ハムの3番・指名打者で出場し、今後の球界を担う「二刀流」の日本ハム・大谷翔平投手(22)にも、無言で伝えているかのようだった。
二回以降は無失点と粘った末、その大谷との対戦が、一球に懸けてきた男の最後となった。六回。1死から大谷を左飛に打ち取った直後、異変が起きた。両足がつり、いったんダッグアウトへ。テーピングを巻いてマウンドに戻り、投球練習をしたものの、3球で続投を断念。自ら、マウンドを降りた。
ずっと満身創痍(そうい)だった。米大リーグ時代の2009年に頭部へ打球を受け、後遺症に苦しんだ。首のしびれや右肩痛を抱え、登板前は首や肩に「お守り」代わりの塩をすり込む。常に「これが最後」のつもりでマウンドに登ってきた。不安、苦しさと戦いながらも、「最後の最後に、こういう舞台に立てて幸せ」と感じた最初で最後の日本シリーズだった。
15年。広島への復帰会見で、こう語った。「カープのユニホームを着て投げる方が、最後の一球に後悔は少ないと思った」。大谷への最後の一球は、134キロの外角フォークボール。大谷は「ほぼ全球種、打席で見られた。間合い、ボールの軌道と、ずいぶん勉強になった」と言う。その「投手魂」を、しっかりと受け止めた。
最後の最後まで、30日に投げるつもりで準備してきた。試合後にナインとともに、真っ赤に染まったスタンドへあいさつ。そして、こう言った。「野球人生が終わることより、試合に負けてしまったことの方が大きい」。勝負師の炎は、まだ心に燃え盛っていた。【福田智沙
二回以降は無失点と粘った末、その大谷との対戦が、一球に懸けてきた男の最後となった。六回。1死から大谷を左飛に打ち取った直後、異変が起きた。両足がつり、いったんダッグアウトへ。テーピングを巻いてマウンドに戻り、投球練習をしたものの、3球で続投を断念。自ら、マウンドを降りた。
ずっと満身創痍(そうい)だった。米大リーグ時代の2009年に頭部へ打球を受け、後遺症に苦しんだ。首のしびれや右肩痛を抱え、登板前は首や肩に「お守り」代わりの塩をすり込む。常に「これが最後」のつもりでマウンドに登ってきた。不安、苦しさと戦いながらも、「最後の最後に、こういう舞台に立てて幸せ」と感じた最初で最後の日本シリーズだった。
15年。広島への復帰会見で、こう語った。「カープのユニホームを着て投げる方が、最後の一球に後悔は少ないと思った」。大谷への最後の一球は、134キロの外角フォークボール。大谷は「ほぼ全球種、打席で見られた。間合い、ボールの軌道と、ずいぶん勉強になった」と言う。その「投手魂」を、しっかりと受け止めた。
最後の最後まで、30日に投げるつもりで準備してきた。試合後にナインとともに、真っ赤に染まったスタンドへあいさつ。そして、こう言った。「野球人生が終わることより、試合に負けてしまったことの方が大きい」。勝負師の炎は、まだ心に燃え盛っていた。【福田智沙
카프 팬도 아닐뿐더러 쿠로다상이 메이저 있을 때도 그냥 잘 하는 사람 오오 이 정도였는데 막상 은퇴한다니까.. 이런 선수를 다시 마운드에서 못 본다는게 속상하고 기사 문장 하나하나가 눈물 터지게 만드네ㅠㅠㅠ